大島紬の職人さん「大島紬は神前の礼装は無理でも、礼装でも着れるようにしてほしい」って、そうやろうなあ
作る方は手間暇かかるし、買う方としては超高額やし。
着物を着る人も少なくなってるし、着物を着てるだけでもかなり礼装になるし。
神前の儀式や結婚式では無理でも。いいや、結婚式の参列でも、大島紬を着てもいいでしょう。
だって、大島では成人式で振袖の大島紬を着る写真が報道されててすごい魅力的だし、いい風習でしょう。
それと上等な木綿、「木綿の女王」「木綿のダイヤモンド」唐桟木綿の織物の職人さんの家の娘さんが、あえて木綿の振袖で成人式に出るって話、いい話やし。
一衣舎さんのブログより。
— 勇魚 (@isanaaaaa) 2018年1月24日
唐桟木綿の振袖がある。織り手の娘さんの「お父さんの織った唐桟の振袖を着たい」という想いから実現したそうだ。
派手さとは違う美しさがある。キラキラしたのだけが振袖じゃないよ。https://t.co/pIBAcDJT5uhttps://t.co/9PqiCHTds5
「紬なんて屑繭、格が低い」「ジーンズみたいなもの」と言われたら。超高額なのに、着て行く場所が少なくなってしまうわね。
着物愛好家のブログがすごい参考になります。
「92歳のお婆さんの話 「紬は格が低い」などと庶民が言えるようなものではない。」
大正生まれの大金持ちの家の女性からの着物の解説がすごい。
たいていの庶民は、オンボロのお古の木綿の着物の着た切り雀で。
戦前は、紬でさえ、庶民にとっては高値の花で。
結城紬は無理すれば買えないこともないど、大島紬は高値の花で見たことも無い人のが多い。大島紬は上流階級、大金持ち、名士、大旦那様の礼装でもあった。大物が政治家との重要な会合でも着れるような着物で。そして一家の地位の高い女性の着物だった。
着物全盛期の時代でさえ、大島紬は超高級品だったのね。そうやろうなあ~。そうでないとおかしいわな。
なるほどな~。それを聞けて良かったよ。
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それと、着物愛好家のブログの白眉だけど。
大正生まれのおばあさん
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うちの父は、運動会や神社のお祭りのお役の時は、土埃で着物が汚れそうな日は木綿の黒紋付に小倉(=木綿)の袴を着たし、結婚式やお葬式や式典みたいに着物が汚れないような日には正絹の羽織袴を着ていた。
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以上のことから、
「紬は紬地というだけでとにかく格が低い」というような十派一絡に扱う考え方は、歴史的に見れば誤りであり、
戦前までは後染めの紬地の礼装があり、昔の人は着物の格は紋の有無と色柄で判断していたということがわかります。
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驚きましたよ!
男性が着る礼装は、素材自体は木綿でも麻でもよかったって!
屋内で寒い時期であんまり汗をかかないような状況だと正絹の上等なのを着て、真夏の屋外での催しとかだと木綿や麻や綿麻の素材の礼装とか、場や状況に応じて着わけられてた。
でも、そのほうが合理的で筋が通ってるわね。
戦前の女性は、社会的に活躍をしている方の数が少なくって、公式の場で礼装をするほどの地位の方が少なかったしその機会が少なかったのと。
今後は真夏の猛暑の時は、麻や木綿や綿麻素材の礼装の着物で結婚式に、麻や木綿や綿麻素材の喪服で葬式に、出られるといいわね。
こういう風に大胆に礼装やルールを先祖返り出来るのが、今後の着物業界の生き残りにもなりそうね。
たいていの庶民は貧乏で、継ぎ接ぎだらけの着物で葬式に参加もできていたとか。
唯一の絹の着物の銘仙でも、葬式に出られたとか。
結婚式でも、地域の大金持ちに礼装をお借りしていたとか。
そういう歴史の情報っていいわね。
木綿や麻の着物の生き残り戦略として、今後は、夏は麻の礼装で結婚式とか、麻の喪服でも結構。京都の夏の屋外での催しとか、市長とか名士が麻の礼装で参加とか、いいわね。そうなれるといいわね。そのほうが合理的でしょうね。
夏大島の着物も礼装扱いとして、重要な場に参列できるようになれればいいわね。そのほうが、着物の今後の生き残り戦略として合理的でしょう。
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そうそう、洋装でも、喪服はポリエステル製だらけで、真夏でもポリエステル素材だらけやけど。
中には、真夏の喪服をリネン素材の既製服で行く女性たちもいるとか。
私も、それがいいと思うよ。そういうのも許容できるようになれればいいな。
上流階級は絹の喪服も狩野かもしれんけど、庶民には無理やしね。
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